ブライアン・メイが語るデビューアルバムのジャケット写真の裏話: Queen The Greatest Special (Episode 5)
こんにちは
猫好き父さんです
今回は更新が早かったですね
ジャケットも自分たちで
デザインしていたんですね
クイーンは
なんでもやってしまうところが
凄い
画像は公式からの引用です
予感めいたものを感じていたんだ, フレディは, 特別な存在で, 我々の象徴となるだろうとね, だから, 最初のアルバムカバーに
4人を載せるのではなく, シンボルとしてフレディだけを
載せるのがいいと思ったんだ, ボートや船とか, バイキングの船の船首には, 女性の像があるよね, フレディをそう考えて, ステージ上の彼が写った
写真を見つけたんだ, スポットライトの中にいて, スポットライトの感じも気に入った, まるで空に輝く
彗星のようだったからね, それで 彼を切り取り, スポットライトを切り取って
大きくした, この面を印刷してボードに貼り, 切り取ったフレディを貼り付け, それがジャケの基本となり
みんなが気に入って, “よし これでいこう”
となったんだ, フレディがデザインしたんだ, この素敵で特別な
フォントをね, クイーンのために, それを使ったんだ, ジャケはこれぐらいのボードで
4つに分かれていた, それを撮影したんだ, 当時のやり方だね, まず撮影して
大きなネガができ, それをレタッチすることもあった, そして, それを染料転写というものにして, 最終的にジャケを印刷するための
基礎が出来上がるんだ, ただ 実物大で2回作業を
しなくてはいけなかった, 最終的なサイズになると
すべてが小さくなってしまうんだ, だから フロントカバー用の板と, バックカバー用の別の板を用意した, またもや この大きさの
木の板から, そこに, 小さなピースを切り抜く
作業を始めた, これは採用されなかった
ジョンが写っている写真, これは間違いなく
僕が切り抜いたものだね, ほとんど
僕が担当したんだ, フレディはいつも
こう言っていたよ, “これも あれも必要だね”, 裏側に僕らの生活を
描写するアイデアもあったんだ, レコードの裏側に, 当時の僕らの生活や
関わってきたこと, ちょっとした
イースターエッグ的なもの, 象徴的なイメージのようなものをね, 見せられればいいんだけど, クイーンのレコードの
オリジナルアートワークは, 今では入手できないんだ, どこかの博物館にでも
保管されているのかな, 見てみたいね, あれがあれば素晴らしいだろうね, だから今回のために, 新しいデジタル・リマスター
そしてリミックス, この裏表紙全体を再現したんだ, 元のファイルをデジタル化して
これを再現するためにね, これもだよ, とても楽しい作業だった, オリジナルのネガに戻ったからね, フレディを見つけ, スポットライトを見つけ, 同じように配置し
再現したんだ, そして材質を良くしたんだ, 違う質感になったけど
いい感じだよ, アルバム全体のサウンドを
向上させたので, ビジュアルも再現しようとなったんだ, この写真は写真家の
ダギーが用意してくれたものだ, コラージュのためにね, これはかなり初期の
ステレオ写真だと思う, チャールノック・リチャードでの
リハーサルの時に撮ったものかな, ファースト・アルバムの
ずっと前のことだ, もちろん
これはロジャー本人ではなく, 当時ファンが作ってくれた
ロジャーの人形で, ドラムセットに
彼が座っているというもの, それをステレオで撮影したもの, だからかなり初期のものだよね, 私はステレオ写真に
こだわりがあるんだ, 常に大きな情熱源だよ, 私はペンギンが好きなんだけど, 冗談めかして聞こえるかもだけど, あの生き物が大好きなんだ, 一緒に暮らしたかったけど
それが叶うことはなかった, だから仮装パーティーでは
ペンギンの格好をしたんだ, そのことを”I'm Going Slightly Mad”の
ビデオでも表現したよ, あのビデオではペンギンと私が
主役を演じることになって, みんなでちょっと
恥ずかしい思いをしたね, 映像はどこかにあるはず, お行儀が良かったわけじゃないからね, 最初のアルバム評で
こういうのがあった, “すべてとても巧妙だ
でもシンセが使われている”, もちろん我々はシンセを
一つも使っていない, それはある種の
プライドの問題だった, アルバムが発売前だったと思うけど, そういう話を耳にしたので, アルバムには “シンセは使っていない”
と明記したんだ, ”ディーコン・ジョン”記名の件は
ジョン・アンソニーだと思う, ジョンは物事に対して
先見の明があった, 彼は物事を壮大に
印象的にしたかったんだ, 偽名を使うのは時として
良い考えだと思っていた, フレディはその決断を
下していたと思う, 彼はすでにフレディ・マーキュリーであり, フレディ・バルサラや, ファロク・バルサラではなかった, そしてジョン・アンソニーのアイデアは, ”ジョン・ディーコンよりも
ディーコン・ジョンの方が”, ”パワフルで魅力的な響きだから
そう名乗ったらどうだ?”, それでディーキーは
”まあいいか”と承諾したんだと思う, 本心ではないだろうけど
そういう経緯でこうなったんだ, ジョン・ピール・ショーで
初めて曲が流れたとき, フレディはフレディ・マーキュリーと
呼ばれたいと自分では理解していなかった, 大物DJだったジョン・ピールが, いわばオルタナティブなDJとして, ”さぁ これは
新グループのレコードで”, ”クイーンという新グループで”, ”ブライアン・メイと”, ”フレディ・バルサラ”, ”そしてディーコン・ジョン”
と紹介したんだ, 彼は宣伝文句を
読み上げただけだったが, その時点でフレディはすでに
フレディ・マーキュリーになると決めていた, 神々の使者だね
『QUEEN I』発売を記念して少し戻ってきたYouTubeのドキュメンタリーの第5⃣回
— クイーン日本レーベル公式 (@queen40jp) December 20, 2024
今回はデビューアルバムのジャケット写真について、ブライアンがその裏話をたっぷり語ります
見る⇩https://t.co/fa6g7ScISY
*YouTubeの字幕機能で日本語表示できます。 pic.twitter.com/SzpWuDUUiy