『戦慄の王女 (QUEEN I)』の録音に至る道:Queen The Greatest Special Part 1 (Episode 1)
こんにちは
猫好き父さんです
Part 1 (Episode 1)
ということは
続きがあるということですよねえ
期待しましょう!
画像は公式からの引用です
クイーン初のリミックス、リマスター、そして収録曲が増曲となる『戦慄の王女 (QUEEN I)』のボックスセットなどの発売を記念して、ブライアン・メイとロジャー・テイラーが、彼らのデビュー・アルバムのレコーディングに至るまでの苦難の道のりを振り返ります。今回のエピソードでは、新設されたスタジオのテスト・バンドになるというチャンスが、彼らが必死に探し求めていた重要な突破口となった経緯が語られます。
-------------------------------------------------
“Queen The Greatest Special”
へようこそ , 『QUEEN I』ボックスセットの
発売を記念した特別番組です, 作品にはリミックス リマスターが
収録されています, 1973年7月, アルバム発売のわずか1週間前, 一曲目の“Keep Yourself Alive”
がシングルとして発売されました, しかし ラジオで放送されることも
難しい新人にとって , この曲は全く注目されない
危険性がありました, しかし BBCのテレビ番組が
希望の光をもたらし, この曲の貴重な露出だけでなく, 伝説的なクイーンによるMV制作の評判を
一気に高めることになりました, 鮮明に覚えているよ, 誰かから
“The Old Grey Whistle Test”が, “Keep Yourself Alive”を
紹介したいと聞いたんだ , 実家に帰っていたときかな, テレビの“The Old Grey Whistle Test”に
釘付けになったよ, 突然“ディンディン”って鳴って, 小さな列車が走り出すんだ , 魅了されよ
誰かが素晴らしい映像を制作したんだ, 私たちの映像はなかったので, パフォーマンスビデオは
作れなかったけど , 彼らは素敵なアニメの断片で
仕上げてくれたんだ, とてもワクワクしたよ, 本当にうまくいった, あれを選んだのは
(プロデューサーの)マイクだった, “The Old Grey Whistle Test”でね, 彼はセンスのある男で
素晴らしい映像になった, テレビで紹介されたのは
あれが初だったと思う, 出演していないけど, 曲とアニメが
テレビに出たんだ, ボブ・ハリスがそこにいて, 彼はささやき声で, 素晴らしいことを言ってくれた, “とても期待できる 新グループです”
ってね, そして突然 僕らは, “あぁ 業界人になったんだ”
って思ったよ, “みんなが 僕らのことを
耳にしているんだ”って, そして 本当に変化が出たんだ , “The Old Grey Whistle Test”の
チームに感謝している, チャンスをくれて
私たちを紹介してくれたことにね, “Keep Yourself Alive”が
音楽業界で注目され始め, この曲をクイーンの紹介として
使う機会が浮上しました, “The Old Grey Whistle Test”での
経験から影響を得て, バンドは短いPVの制作を
提案されました, あれは たしか, マネージメントだったトライデントの
アイデアだったと思う , 自分たちのことを
知ってもらうためのね, もちろんビデオは作ったよ, マイケル・マンスフィールドが
撮影した映像だったと思う , 一般に公開するもの
ではなかったんだ , あれは業界向けのものだったね , そして偶然にも, その映像会社であるTrillionは, 我々のプロダクション会社が
所有していたんだ, そして仕事をすることになった, 彼らのことが気にいったし
あちこちで彼らを見かけたしね, ステージで演奏しているビデオを
撮影してもらうために彼らにお願いして, たしかシェパートンだった, 照明は他の誰かが担当したと思う, マイク・マンシーが監督だったかな, 僕らは全力を尽くした, でも完成したものは
気に入らなかった, というのも, 全体が照明で
照らされていて, 冷たい感じだった, 良い雰囲気はまったくなく
僕らはマネキンみたいに見えた, しっくりこなかった
ロックンロールじゃなかったんだ, とても, いやな感じの, ビデオだ, (英民放の) ITVっぽくて, 良くなかったよ, あれは, カメラがとらえていないんだ, 初期の頃だし, 規模も小さかったしね, そしてまた僕らは, 自分たちじゃない
型にはめられてしまった, もちろん そうやって
学んていくわけだけど, “それは嫌だ 照明は要らない”, なんて言えなかった, “撮れるだけで幸運だ”, という感じだったよ, 発言権がなかった, 自分で決められたのは
衣装ぐらいだよ , 照明が気に入らないと言っても
なにもおきなかった , スポットライトぐらいの, 簡単なものしかなかったね, それから 数回撮影したと思う , 確かブルース・ガワーズだったよ , それで 少年っぽく
騒ぎを起こしてみたんだ, “気に入らない もう一度やりたい”, “次は好きなように
照明を当ててほしい”って , そうすれば違いが出るはずだ , ステージは白ではなく
黒にして, 照明で自分たちをミステリアスで , シリアスなロックミュージシャンに
見せようと思ったんだ , “トップ・オブ・ザ・ポップス”にでる, 歌手やダンサーじゃなく, ロックグループのように
見せたかったんだ , この2つ目のバージョンは
彼らのイメージに近かったため , 最終的にはファンの間で , 公式の“Keep Yourself Alive”の
ビデオとして定着した, しかし 当時, バンドはこの映像を業界での
宣伝ツールとしか考えていなかった , 自分たちを捉えているのは
気に入っていたし, それに, 見せられるものになったけど, それを発表する手段がなかった , 例えば, “トップ・オブ・ザ・ポップス”で
流す方法もなかった , “トップ・オブ・ザ・ポップス”は
当時存在していたと思うけど, まったく別のメディアだった, あの番組では, スタジオの中で, 小さな白い箱の上に立って, 曲にアテブリするものしか, 放送されないんだ, それに, そういうビデオを流す場所がなかった, 自分たちが
何をしようとしていたのか , 何を期待していたのか
今となってはわからない , 当時はそういう場が
なかったんだ , 素晴らしい出来になったよ, 照明は最高ではなく, 僕らの姿も
あまりよく見えないけど , 雰囲気は出ているし
演奏もよかった, だからこれがロック・ビデオの
先駆けだったと思う, もちろん後に僕らは, おそらく最初の, PVを作ったことで
知られるようになった , それが“Bohemian Rhapsody”だね, 当時は, 視覚的な要素が, 演奏の一つだと
思っていなかった, 短いビデオが宣伝ツールとして持つ力を
本当に理解してなかった , なぜなら ビデオがあれば, 色んな国の重要な多くの地域に
届けられるんだ, 後に“Bohemian_Rhapsody”のビデオを
企画したとき, あのビデオのアイデアは
我々が出したんだけど , テレビで宣伝ツールとして
使うこともできた, 実際に行かなくてもね
大きな番組に出演できる, オーストラリアに行ったとき, “Bohemian Rhapsody”発売の
1年後だったけど, 現地の番組“Countdown”で
6週間も1位をキープしていた, その番組は「トップ・オブ・ザ・ポップス」
みたいで重要だったんだ
クイーンのデビューアルバムを再構築した全く新しい2024年ヴァージョン『Queen I』。その発売を記念して、ブライアン・メイとロジャー・テイラーがデビュー・アルバムのレコーディングに至るまでの苦難の道のりを振り返る動画(日本語字幕対応)が公開 https://t.co/UGyIemgHK7
— amass (@amass_jp) October 18, 2024